私の構造的学習法 <前編> ”理解とは何か?”

以前のエントリーで「もう少し構造的な学習方法については詳しく書きたいので、別のエントリーで紹介したいと思います」と言っておきながらしばらく放置していたのを若いメンバーに指摘され筆をとった次第です(笑)今まで個人的に感覚で実践してきたものをまとめたものですので、何かのヒントになれば幸いです。

私が思うに学びというのは大きく2種類あるかと思っています。それは、静的な学び(概念の理解)と動的な学び(因果律の習得)です。この一連のエントリーでは、前者の概念の理解を効率的に行うための学び方(個人的にそれを構造的学習法と呼んでます)を紹介したいと思います。後者の学びは、フィードバック学習法と呼んでいるものがあるのですが、別の機会に紹介したいと思います。

気が重かった理由は単純で、きっと書き始めたら短くはならないだろうと踏んでましたが、実際書いてみると予想通りの長文となってしまいましたので、エントリーを分けて書きたいと思います。

本エントリーでは、構造的学習法を説明をするにあたって前提知識として、学びのゴールイメージとしての”理解”について書いてみました。構造的学習法の中身については次のエントリーで説明したいと思います。

理解とは何か

具体的な学習法に入る前に、まず学ぶことのゴールをイメージしてみましょう。学び終わった結果どういう状態になっていて欲しいのでしょうか。端的に言うとそのテーマに関して、”理解”している状態ではないかと思います。ただ、この”理解”とは何なのかを答えるのが、意外と難しいのです。”理解”を辞書で調べてみると

「物事の道理や筋道が正しくわかること。意味・内容をのみこむこと。(Goo辞書より引用)」
などと記載されています。辞書的な説明としてはよいと思いますが、これだけでは”理解”を理解したとは言えないですよね。

では理解とは何なのでしょうか?語源にさかのぼってみると、理(ことわり)というのは事(こと)を割(わ)ることから来ているそうです。理解とは、理(ことわり)をさらに分解すること。つまり、ある概念と他のものとの違いが明確になっていることが理解ではないかと、私は思っています。つまり、理解するということは、物事が違うことを知り、その違いがどういう関係性にあるのかを明らかにしていくことなのです。

少し例をあげます。例えば、LinuxとOSという2つの概念の関係性を見てみましょう(エンジニアであれば一度はLinuxとは何かを一般の人に説明したことがあるのではないでしょうか)。それは同じものでしょうか?違うものでしょうか?これらは異なるものです。図にするとこんな感じになります。まずは違うものだということが分かりますね。

ではこの2つはどのような関係性にあるのでしょうか。OSの中には、他の種類のOSも存在していて、その中の1種類がLinuxという関係になっています。ここでOSとLinuxは違うものであり、その関係性は包含関係にあるということ明らかにすることができました。

このような感じで、関係性を確かめていくことが物事の理解の一歩となります。

関係の中で意味づけされる

この例で重要なことは、Linuxという概念を人はそれ単独で理解できないということです。OSという概念との関係性の中でLinuxを理解しています。このように物事の意味というのはすべて相対的に形成されていくものなのです。私たちは、新しいことを学ぶとき、必ず今まで知っている何かと比較しながら理解を進めていきます。これは当たり前のように思えて非常に重要なことです。

では、この例においてLinuxが何かを知るにあたってそもそもOSとは何かを理解していなかったらどうすればいいのでしょうか?その時は普通、「LinuxというのはWindowsのような役割を果たすもので、そういったものを総称してOSと呼ぶんだよ」と教えるのではないかと思います。

このアプローチは、WindowsとLinuxの関係性を先に把握した上で、その後にWindowsとOS、LinuxとOSの関係性を明らかにしています。

このように、人は今まで知っている何か(Windows)と比較しながら知らなかったこと(Linux, OS)を理解をしていく癖があります。

2点間だけの距離では不十分

少し話は変わりますが、簡単な幾何の問題を考えてみましょう。3次元の空間である点Xの位置を特定したいとします。そのとき、とある点aから特定したい点Xまでの距離を知ることができました。その場合、Xの場所を特定することはできるでしょうか?

もちろん、Xの位置を特定することはできません。なぜなら2点間の距離が分かったとしても、aを中心とした球の表面の中のどの点がXなのか決められないからです。3次元の空間において、3つ以上の点からの距離が分からないと目的の点の位置を特定することはできません。

学習のゴールは概念ネットワークの構築

概念同士の関係性もこれと同様です。何か1つの概念を理解をするにあたって、ある物事との関係性を明らかにするだけではその概念の位置は特定できません。位置が分からないということは、理解できていないということです。

先ほどの例でいうと、OSとLinuxとの関係性のみではLinuxを理解したとは言えません。カーネルとLinuxの関係、ハードウェアとLinuxの関係、GPLLinuxの関係などなど、複数の概念との関係性を考えることでLinuxとは何を意味するものなのか次第にクリアになっていきます。

このように概念同士が関係性で延々とつながったネットワークが、その人の学んだ成果となります。その構造は、各概念が網の目の様につながっており、それぞれに関係性が定められている状態を指します。

学習のゴールとして私たちが得たいものはこの関係性の集合なのです。この集合を概念ネットワークと呼んでいます。導入のエントリーの割に少し長くなってしまいましたが、学習のゴールイメージは明確になったでしょうか?(後編へ続く)