私の構造的学習法<番外編>

実は構造的学習法に関連して理解しておいた方がよいことがあるので、今回は番外編ということで軽めのエントリーを書きたいと思います。

理解の罠

前編で出てきた概念ネットワークの本質は、概念の分割を行うことだという話をしていました。しかし、この概念を”分ける”という行為には、本質的にリスクが伴います。それは何でしょうか?

それは、概念を分ける行為は過度な一般化を伴うため、概念ネットワークはともすると固定観念の塊になりえるということです。

例えば、日本人とアメリカ人という概念を整理するとしましょう。きっとみなさんは二つの違いを思い浮かべると思います。国籍の違い、見た目の違い、言語の違い、考え方の違い、さまざまな角度から違いを洗い出していますよね。しかし、その違いってよく考えるとステレオタイプになっていたりしませんか?アメリカ国籍の人でも自分は日本人だと思っている人もいるでしょうし、日本語をしゃべるアメリカ人だっています。このように分けるという行為は一般化をすることが前提となっているため、固定観念化というリスクを伴っているものなのです。

私もそういった弊害が起きないように気をつけているつもりですが、それでも歳を追うごとに概念ネットワークが固くなって固定観念化が進んでいることを自分自身感じています。個人的には、願わくば目の前の現実に合わせて常に概念ネットワークを0から再構築できるぐらいの柔軟な人で居たいですね。

コミュニケーションの問題

誰ひとりとして同じ概念ネットワークを持っている人はいません。私たちが言葉を使う時、話し手と聞き手はそれぞれの概念ネットワークの中でその意味を解釈しています。その結果、話し手と聞き手の解釈が厳密に一致することはありません。

コミュニケーションの問題の原因は、すべてこのことを起因として起きています。

コミュニケーションというのは、概念ネットワーク間の通信とみなすことができます。自分の概念ネットワークに他の人の概念ネットワークの一部を取り込んだり、逆に自分の概念ネットワークの一部を他の人の概念ネットワークへ移植したりする活動がコミュニケーションです。

さびしい話ですが、私たちは実は一人一人が全く違う世界に生きていると言っても過言ではありません。そのことを受け入れて、そもそも各々考えが違うことを前提として話をすることが、コミュニケーションの問題を解決する一歩となります。コミュニケーションの目的は、発信者と受信者の考え方の違いをなくすことではなく、そもそもお互い何が違うのかを理解することにあるということを忘れないようにしましょう。